幻の竹筋コンクリート

建築材料のなかには、マボロシといわれる材料もあります。
今回は、戦争で鉄が不足しているときに、その代替材料として登場した
「竹筋コンクリート」という材料についてお話していきます。

世界で最初にこの研究に着手したのは、ドイツです。
第一次世界大戦で疲れ切ったドイツは、材料不足を補うために
あらゆる代替品を考え出しました。竹筋コンクリートもその一つです。

竹筋コンクリートのもともとの開発者は、インド人のK・ダッタ氏。
1936年に、ドイツで行われたコンクリートの補強用配筋の研究結果を残しています。

日本でも戦争中に同じことを挑戦しています。
戦時中の文献によると、次のような言葉が見られます。

「ガソリンの一滴が、血の一滴であるならば、鉄の一片は肉の一片である。」

「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」

当時の物不足に対する代用品開発の苦労がひしひしと伝わってきますね。
竹筋コンクリートも、まさにこうした努力によって生み出されたアイデアだったと感じます。

戦争中に竹筋コンクリートは、井戸や建物の基礎、橋などに使われました。
いまでもこの竹筋コンクリートを見学できるところがあります。
山口県岩国市にある「岩国徴古館」は、二階建ての大きな建物ですが
一見しただけでは、これが竹を使ったコンクリート建築とはわからないほどです。

もう一つは、神奈川県戸塚区で1981年に行われた県道工事の際に、
竹筋コンクリートが発見されました。老朽化のための架け替え工事でしたが
およそ40年使われていたそうです。

詳細は、横浜市道路局が作成した旧堂山橋竹筋コンクリート床版調査報告では、
40年経過したのちでも、まだ6割の耐力が残っていたという記述もあります。
決して竹筋コンクリートは弱くないことを知って驚きです。竹は強いです。


鉄筋工事に関するお問い合わせはこちらよりお気軽にどうぞ

メニューを開く